もし日本語教師がアラビア語を勉強したら
日本語教師とは語学のプロ(のはず)。そんなプロ(の駆け出し)が語学に挑戦したら、どうなる?をテーマに始めたブログも、アラビア語学習編、ヨルダン生活編を経て、日本生活復帰編に突入します!

ラマダン、終わりました!(だいぶ前に!)

ラマダン、終わりました!
2週間ほど前に。
時の流れは早いなあ。

今年のラマダンは初めて本気のサーイム(断食)をしました。
夜中の2時半ぐらいから夕方の7時まで飲まず食わず。
だけでなく、断食が始まる前の「サフール」と呼ばれる朝食(?)を食べてから断食してました。

この「サフール」、、、めちゃめちゃ体に悪い気がします!

なぜなら、夜中の2時ぐらいからご飯を食べるんですよ。
しかも普通の朝食!いやむしろ重めに!!
私は作るのが面倒だったので、シリアルとバナナとヨーグルトを食べることが多かったですが、友人ムスリムの話では夜中2時にフライドポテトとかご飯とか食べる人もいるらしいです。
おいおい、それお腹大丈夫?
と聞きましたが、大丈夫だそうです。

そんなにガッツリ食べていたら、そりゃ夕方まで食べなくても大丈夫かも。。。

実際、私も2時ぐらいにバナナを食べて水をたっぷり飲むと、夕方までの時間なんとかなりました。
最初の2日間ぐらいはお腹が空くし、頭が痛くなりましたが、断食明けのイフタール(夕飯)を沢山食べたりチョコレートなどで糖分を摂取したりすると頭痛は治りました。

そんなこんなで1ヶ月、サフール(断食)を続けましたが、やはり大事なのはサフール(断食)の目的だと思います。
サフールをして、お祈りをする。
いつもよりもっともっとお祈りをして神聖な気持ちになる、、、これがラマダンの本当の目的なんだと思いました。

今回はモスクに行ってムスリマたちとイフタール(夕飯)を一緒に食べる体験もしてみました。
マレーシアやインドネシアなどアジアからの留学生と偶然知り合い、彼女たちの「ラマダンおめでとう!」というキラキラした笑顔が印象的です。
彼女たちは日本に来られたこと、そして仲間たちと無事にラマダンを迎えられたことに感謝しているようでした。
誰に感謝しているか?
もちろん両親や周りの人にも感謝していますが、アッラー(神様)にも感謝していました。

このアッラーの存在っていうのは結構ありがたいもので、辛い時に頼れるし、嬉しい時にも頼れる(感謝できる)し、私はこういう存在がいるのはいいなと思っているので、彼女たちの感謝している姿を見て心がほっこりしました。

そんなこんなで今年もラマダンが終わりました。
来年はどうなるかな〜。
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ラマダン 2017 始まりました!

今年もイスラム教のお祭り(?)・ラマダンが始まりました!
日本では5月27日からです。
約1ヶ月、6月29日までイスラム教徒はサウムと言われる断食をします。
サウムはファジュル=朝のお祈りからマグリブ=夕方のお祈りの間までします。
サウムは食べ物はもちろん、飲み物も口にしません。
今の日本時間だとファジュルが午前2時40分ぐらいで、マグリブが午後7時ぐらいです。つまり、16時間ぐらい飲まず食わずってことになりますね。

自分のブログを読み返して、去年のラマダンにいいこと書いているなー(自画自賛)と思い、驚きましたw
(くわしくはこちら→ラマダンと平和(2016年の記事)">ラマダンと平和(2016年の記事)

さて、去年、「心に栄養」を与えたりサウムしたりしてみましたが、これがなかなかイイ感じでした。
ヨルダンにいる時からイイ感じだと思っていましたが、帰国してもそのイイ感じがなくならないので不思議です。
イスラームでは絶対的・完全な神様が存在している(と考えている、認めている、信じている)ので、その反対で人間の不完全さ、弱さが許されている、でもそんな弱い人間に神様が与えた使命があるから頑張ろう...そんな感じに私は受け止めています。
だから、
人間は弱くて小さい存在だけど、頑張れることがいっぱいあるよ。
今できなくても頑張っていればいつかできるよ。
神様はいつも見守っているよ。

・・・そんな感じです。
あれ?癒されませんか??私だけ??

そんなこんなで、今年もラマダンです。

ラマダンに欠かせない「サフール」と「イフタール」を紹介します!
「サフール」とは、ファジュル(朝のお祈り)前の食事で、午前2時半ごろに食べるご飯のことです。
水をたくさん飲んだり、朝ごはんのメニューを食べたり...あと欠かせないのは、バナナ!
どうやらバナナは水分が多いそうなので、サフールに食べて、そのあとの16時間の水分を補給?するそうです。

ラマダン中はサフールを食べて、ファジュルのお祈りをして、眠る人が多いです。
(だから朝早い時間の授業はみんな眠そう)

そして「イフタール」はマグリブ(夕方のお祈り)の時間がきて、サウムが終了して初めて食べるご飯、つまり断食明けのご飯のことです。夕方7時ぐらいに食べます。
この時は、まず水を飲み、ナツメヤシを奇数食べてからご飯を食べます。
ちなみに、ご飯はなるべくスープやサラダから始めたほうがいいそうです。

さて、断食と聞くと、日本の友人たちは「え!?大変だね!大丈夫?今は熱中症になっちゃうよ!危ないよ!」と、心配する人が多いですし、断食=苦行と思っている人が多いと思いますが、、、イスラム教徒たちはサウムも含め、ラマダンを楽しんでいます!!

苦行どころか、むしろ喜んで自らやってます!!!

テンション高くなる人も多くて、うざいぐらいです(「ラマダンイエ〜〜イ」的な)^^;


(まあ、、、人によるのかもしれませんが、、、私が知っているイスラム教徒はこんな感じです)

それはきっと、ラマダンが「神聖な月」であり、サウムを通して神様とのつながりを確認できる時だからかもしれません。
だから私はラマダンは「祭り」だと思っています。祭りというかイベント。
みんなが楽しみにしている年に1度もスペシャルシーズン。


今年はどんな1ヶ月になるのか、今から楽しみです。
どうか世界中の人が平和と癒しを感じられる時間になりますように...。

ラマダンと平和

あっという間にラマダンが終わってしまいました。
この記事を書き始めた時はまだラマダン中だったのですが、ラマダン中に自爆する事件やトラックが人ごみに突っ込む事件が勃発して、この記事を書いていていいのかわからなくなってしまったので、しばらく寝かせておきました。
でもやっぱり書きます。非イスラム教徒の私が何を思ったのか、今何を思うのか。


今年のラマダンは私にとってヨルダンにいる時以上にラマダンだなという感じがしていました。
なぜかというと、実はサウム(断食)に挑戦していたからです。
サウムをしようと思ったのは、帰国してからイスラム教が恋しいというか忘れられないと思うことが多くて、それは無い物ねだりというか離れてしまったから思い出は美しい幻想に囚われているだけなんじゃないかと自分で自分の気持ちがわからなくなり、それならいっそのことサウムでもしてみようかな、という気持ちからでした。

とはいえ、ちゃんとしたイスラム教のルールの断食ができたのは一週間ぐらいだったと思います。
同居している家族の猛反対にあって、途中でしなくなりました。家族を悲しませてまでやることではないと思ったからです。

さて、サウムをしてみて(なんちゃってを含めて)、、、意外に楽しかったです
そして、空腹だからものすごく眠かったし、よく寝ていました。
でも仕事は休めないのでいつも通りしていましたが、空腹のピークを越えると謎のテンションが生まれて、やたら楽しく仕事(授業)ができました。
これは日本だからよかったと思う点です。
私が多少寝ていようがダラダラしていようが、周りはいつも通りに廻っていたのでそんなに問題は起こりませんでした。
(まあ、イスラームの国にいたら国全体が回っていない状態になるのである意味問題にはならないんですが)

そして、毎日の夕食(だいたい19時ぐらい)が本当に楽しみでした。

残念ながら、家族は猛反対だったしもともと夕飯の時間帯がそれぞれ違うので、「家族と一緒に夕食の喜びを分かち合う」というイベントは全くできませんでした。でも家でご飯を食べるのが楽しみでした。そして作ってくれた人(自分で作る時には材料を作ってくれた人)に感謝の気持ちがより高まりました。

また、日本にいるイスラム教徒の人と一緒に晩御飯を食べて「ああ、幸せだな〜」という気持ちを分け合えました。やっぱり誰かと分かち合えると幸せな気持ちになります。

ラマダン中は家族で一緒に断食をして一緒にご飯を食べる...こうすると嫌でも関係が近くなると思います。
そして一緒に過ごした相手のことは大切になるし、関係も深まります。
こうして、家族や親戚、仲間を大切に思えるようになるのかな、と思いました。


さてさて、「ラマダンは神聖な月」と言われているのですが、なぜ神聖なのでしょうか?
そもそもなぜ、断食をするのでしょうか?

...ヨルダンにいる時によく聞いたのが、「断食をすると貧しい人の気持ちがわかるから」「デトックスできるから」などなど聞いたことがあります。
それも一理あるな、と思うのですが、私はそれだけで断食ができませんでした。
だってお腹がすくし、断食を言い訳に仕事しない人が激増するからイライラしちゃうし。


なので、そもそもの話を聞いてみました。
なぜ、ラマダンは「神聖な月」なのか?
なぜ、断食をしなくてはいけないのか??


コーランを読んだり話を聞いたりして、ちょっとだけわかったことですが、ラマダンが神聖な月という理由はアッラー(神様)が預言者ムハンマドに聖典(コーラン)を授けた月だからだそうです(byコーラン)。
さらにこのコーランとは何かと言うと、「人類を導くために、また善悪がわかるようになるために下された」そうです。

そこで私が理解したのは、この月にサウム(断食)をすることで、改めて神様の偉大さを思い出して、人類の道を示している聖典を読んだり学んだりして善悪を知り、善人になれるように努力しようね。という月なのかなーと思いました。
人間は弱い生き物だから、どんなに道を示したものをもらってもそんな毎日は頑張れないし、簡単に堕落していくものだから...だから、年に1度は自分を棚卸しして、自分はいい人間になれているか?道をあやまっていないか??
そんなことを思い出すためのサウム(断食)でありラマダンなんじゃないかなーと思いました。

だから悪口は言ってはいけないし、優しい気持ちになれるようにがんばるそうです。
心を鍛えるというか、いい人間になるための挑戦というか...。
友人の言葉を借りれば、「ラマダンは肉体への栄養を断つことで心に集中できる。心の栄養(宗教心)を集中して取ることができる」だそうです。

だから断食してイライラして人に当たる...なんて、やっちゃいけないことだし、ラマダンだから天国行けるぜイエーなんて言って自爆したり他人を攻撃したりしちゃいけないってことなんです。

自分はいい人間に近づいているのだろうか。
他人の役に立てているのか、神様に恥ずかしくない生活をしているだろうか、、、そんなことを考える時間になったらいいのかな、と思いました。
(そこまで考えて断食している人がいるかどうかは知りませんが)

と、考えると、なるほどラマダン、いいね!
断食、いいね!!
と思います。


とはいえ、私はイスラム教が一番正しい!唯一の宗教だ!!と言いたいわけではありません。
宗教は個人の自由だし、どんな宗教であっても互いを尊重すべきだし、助け合うのが同じ地球に生きているものの役目というか義務だと思います。

だから、イスラム教徒ってだけで怖いとか変とかいうのが嫌です。
その反対で、ブッダは神じゃないから一神教に改宗しろと言われるのも嫌です。


世界中の人が互いの違いを認め合い、平和に暮らせることを祈っています。

ラマダンの思い出ぽろぽろ

2016年のラマダンは6月6日から。つまり明日からラマダンが始まります。

ヨルダンにいた時に3回ラマダンを体験しました。

1回目はヨルダンに着いてすぐ始まりました。

アラビア語の語学学校に通っていた時なので、ラマダンを理由に語学学校の時間が短縮されたり、日中のドライバーが乗車拒否または通常値段の2〜3倍ぐらい請求してくることに驚きました。
(ドライバーは早く家に帰りたいので遠くの場所には行きたがらないし、夕飯前は絶対に乗せてくれない。日中であってもラマダン中だからとは言わないけど、とにかくもっと払え!と言ってくることが多かったです)

先生たちからは、「ラマダンは貧しい人たちの気持ちを知ることができる時間なんだよ」と言われて、なるほどー...と思うところもありましたが、レストランが全部閉まるし、飲み食いできる場所がなくて困ったもんだぜラマダン!、ぐらいの気持ちでした。

2回目は住み始めて1年ぐらい経っていて、大学でサマーコースを教えている時にラマダンになりました。
その時には周りにムスリムやムスリマの学生がたくさんいたので、いろいろ教えてもらいました。
とにかくラマダンが楽しみでしょうがない様子を身近で見られたり、ラマダン中はきれいになれるんだ!と言っている女子の意見を聞けたりしたので、より身近に感じられたし、会話クラブを通して「何が楽しいのラマダン?」についても聞くことができました。

ラマダンは神聖な月だから、この時にいいことをすると、通常の何倍もの天国行きポイントがもらえる(貯まる)と教えてもらいました。
そもそもの話ですが、イスラームでは人間が生きている間にしてきた良いことと悪いことを天使が記録していて、最後の審判の時にその良いことと悪いことを比べて良いことが多かったら天国...というシステムになっているそうです(学生に聞いた話です)。
そして、ラマダン中は良いことをすると、他の月よりもより多くのハサナート(良いことのポイントのようなもの)がもらえるんだ!とみんな話していました。
だからラマダン中には貧しい人たちへの喜捨もふえるし、そのために街中の浮浪者もふえるし(体感)、、、

そして学生の家に誘われて一緒に夕飯を食べさせてもらう機会が何度かあったので、その時には私もサウム(断食)をしてみました。この時に夕飯時の水がものすごく美味しかったし、みんなで一緒に食べるってしあわせだな、と感じました。
この時に「私にもハサナート貯まったかな」と言ったら「でも先生はムスリマ(イスラム教徒の女性)じゃないから...」と言われて、それもそうだと思いました。

私はみんなの仲間になれないのがすごく寂しいと感じていました。
だから私と彼らは何が違うのか、私にとっての神様ってなんなのか...そんなことを時々考えていましたし、いまでも考えます。

さらに、この年のラマダン後のお祭り・イードアルアドハーの時にカラクという町で羊の屠殺&料理に参加できました!!憧れだった屠殺とアラブ料理が同時にできて、本当に充実したラマダン体験でした。
この時にお世話になったカラクのお宅では親戚一同が集まって羊肉の料理「マンサフ」を食べていて、親戚が仲が良いし屠殺した羊を近所に配ったりしている姿を見て「助け合いっていいな」と思いました。
(羊ちゃんのもろもろについてはこちら→羊ちゃんがマンサフになるまで

さてさて、3回目のラマダンはもう体験しないはずでしたが、幸か不幸か滞在が延長できてしまったので体験することになりました。
せっかくなので自分もサウム(断食)しようと意気込んだのですが、3日ぐらいで撃沈しました。
とにかくイライラしていたし、一緒にイフタール(夕飯)を食べる人もいないし、、、という言い訳で。
日本人でムスリムじゃない人とサウムしてイフタールを食べる...ということはしていたのですが、あの時にあまり神聖な気持ちになったりしませんでした。むしろイライラ。
毎週土曜日に日本語クラスでラマダンイベントをやっている時ぐらいはサウムしていたかな...ちょっと記憶が曖昧です。


さて、そんなラマダン思い出がぽろぽろ出てくるのは、今年も明日からラマダンが始まるからです!!!

日本でのラマダン認知度ってとても低い...と思っていましたが、昨今のISISのニュースなどで「ラマダンは断食する月」ぐらいの認識は日本でもあるようです。

不思議と日本にいると、最初に「めんどくさいな」と思っていたラマダンですら懐かしいです。
一体感がほしいのか、神聖な気持ちになりたいのか、神様のことについてもっと考えたいのか...自分でもよくわからない不思議な気持ちになります。
単純に「カダイフ(ラマダン中に食べるお菓子)が食べたいなー」ぐらいの気持ちかもしれませんが。

日本人は冷たい?アラブ人はうざい??

先日、電車の中で女の子にちょっかいを出している男性を見て、他の人が一歩も動かなかったので私がその女の子と男性の間に割って入って次の駅で女の子が無事に降りて行った(たぶん)。

という話をFacebookでしたところ、

「勇気あるね!」とか「すばらしい!」というコメントや、「日本人って冷たいよねー」や、海外在住の方が「もう日本に戻りたくない...こわい...」というコメントもありました。

私は別に褒めて欲しくて書いたわけじゃなく、私の体験談をもとに他の人も気軽に他人が困っていたら声をかけるきっかけになったらいいなーなんて思い上がって書きました。

でも「日本人って冷たいよねー」のような反応に対して、「日本人ってそんなに冷たい?そんなにダメ??」というコメントが寄せられました。

「日本は安全だし、困っている人がいたら助けてくれる人もいるのに、日本人は冷たいって...そんなにダメな国じゃないと思うんだけど」というご意見でした。

確かに日本は素晴らしい国です。
安全だし、きれいだし、ほとんどの警察がちゃんと働いているし(某国では警察官が小遣い稼ぎのために取り締まらないで賄賂をもらっているという話をよく聞きます)...。

でも、冷たいなあ...寂しいな...ひととひととの距離が遠いなあ...と感じるのも事実です(私の個人的な感覚)。

以前にも、ふらふらで歩けないおじさんがいたのに誰も椅子から立ち上がらないとか、妊娠マークをつけていたりお腹が大きい女性がいても無視だったり...。

電車に限らず、普段の生活でもあまりひとと接しないで生きていけます。
よく行くコンビニであっても、店員さんと話すことはないし、、、ああ、行きつけのバーとかがあればそこで会話ができるのかもしれませんが、私はバーには行かないし...。

でもまあ、日本人だからとかアラブ人だからとか「〜〜人」では言えないことも多いですね。人によりますから。
そして今私は日本にいるから、電車の中の反応が「冷たい、寂しい」と感じましたが、ヨルダンにいるときはバスで座っていて隣の人に「何人?えー、日本人?へー、素晴らしい!で、改宗する?」みたいに話しかけられて、うぜえ!!と思っていたのも事実です。

隣の芝生は青い、、、ではないですが、互いに良いなと思うところを受け入れてより良い人生が送れたらいいなと思います。
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