もし日本語教師がアラビア語を勉強したら
日本語教師とは語学のプロ(のはず)。そんなプロ(の駆け出し)が語学に挑戦したら、どうなる?をテーマに始めたブログも、アラビア語学習編、ヨルダン生活編を経て、日本生活復帰編に突入します!

ビリーフとリミット

実は先日、某国のとても偉い人に会いました。
その偉い人は10月のヨルダン大学のイベントにも来ていた方で、
私がヨルダン大学の日本語教師だと気がついたら、

「いやー、この前のスピーチ、あれはひどかった!」

と、言ったのです。

さらに、

「あんなのは日本語じゃない。きみ、もっとがんばらないといかんよ!
あんなのを聞かせられて本当に恥ずかしかったよ」

と言っていました。


一瞬、あばれようかな。と、思いましたが、近くにいた同期が目で止めてくれました。おかげさまで、
「あはは。次回がんばりま〜す♪」
と、得意の(元)添乗員スマイルで乗り切りました。ハムドゥリッラー。


その後、イライラしてしまったのですが、あることに気がつきました。

確かに学生のスピーチは「外国人が話す日本語」としては上出来だったと思います。
しかし、「正確な日本語」ではありませんでした。
アクセントもなおすべきところはたくさんあったし、プロミネンスもイントネーションも、、、改善しようと思えばいくらでも改善できるポイントはありました。
でも、わたしは何もしませんでした。
その学生に、「とても良いです。がんばりましたね」としか言いませんでした。
準備期間が短い中で、原稿を書き、暗記し、当日は何も見ないで、「伝わる日本語」で3分以上のスピーチをした。これで十分ではないかと思っていたからです。


これがまさに教師のビリーフだと思いました。
ビリーフ=信じること。
教師の思い込みが授業、学習スタイルに影響するんだということを実感しました。

わたしは言語は通じることが大事。コミュニケーションが大事。これが私のビリーフです。
と思っているので、正確さを二の次にする傾向があります。

わたしが勝手に何かを信じるのは私自身の問題なのですが、わたしは教師です。
わたしは自分が良いと信じているものを学生に押し付けて、学生が望むものを与えられていなかったのではなかろうか。

「通じる日本語が話せるのだから、それで十分じゃないか」と、思っていたのではなかろうか。
というかそう思ってるんだ!!


その思い込みで学生が正しく発音するチャンスを奪っていたのでは?
もっと高いレベルまでできる学生の限度を私(教師)が勝手に決めていたのでは??


前任者のA先生が学習者に行ったアンケートでも、
「初級の頃から発音をなおしてほしい」
「日本人のようにはなせるようになりたい」
という学生の意見もありましたし、
夏にヨルダンに来ていたアラビア語のビデオスキットを作っていた慶応大学の先生方は、
学生のアラビア語に対して細かく指導していました。
(結果、彼らのアラビア語は大変素晴らしい、とヨルダン人も褒めていました)


初級だから、正しく発音できなくたっていい。
外国の人だから、正確じゃなくたっていい。

そんなことは、ない!!

もっと高いレベルを求める人には、それだけの指導をするべきだと思いました。
(もちろん、学生の中には「通じるだけで良い」と考えるひともいるので、それに対してどうすべきかはちょっと保留です)

でも、教師があきらめたら学生はそれ以上のレベルになかなか到達できないんだな、ということを思い出しました。

すぐには変われないと思いますが、今後は意識して「より日本語らしい日本語」を提示することも必要だなあと思いました。

*でもその一方で、「日本人らしく日本語を話す」ことが全ての学習者にとって大事なことかどうか、まだわかりません。でも初級のうちに指導しないと化石化するということも・・・ああもういいや、また後で考えよう・・・。


このことに気がつかせてくれた偉い人に感謝です。



はい、感謝しています。
アルハムドリッラー。
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