もし日本語教師がアラビア語を勉強したら
日本語教師とは語学のプロ(のはず)。そんなプロ(の駆け出し)が語学に挑戦したら、どうなる?をテーマに始めたブログも、アラビア語学習編、ヨルダン生活編を経て、日本生活復帰編に突入します!

私が見てきたヨルダンとイスラム教

帰国してから一ヶ月ほどたちますが、連日「ヨルダン」をテレビで見ています。
今まで「ヨルダンってどこ?」と言われてきたのに、いまでは「無事に帰ってこられてよかったね」や、「いまヨルダンは大変だね」と言われるようになり、答えに窮しています。

確かに今起こっている事件はとても痛ましいものです。
すでに亡くなられたと報道のある方の冥福を祈っています。
そして今もまだ生命の危機に晒されている方が一日でも早く解放されることを祈っています。

ですが、それとヨルダンの日常は別だと思っていますし、それを日本人の人にわかってほしいです(わかっているけど、理性と感情が引き離せないという人も多いかもしれませんが)。

私は2年半、ヨルダンで生活をしていて、イライラすることも多々ありましたし、ムカつくことも多々ありましたが、イスラム教もいいなーと思えるところもあります。

女性や家族を大事にしているし、お年寄りへの尊敬の気持ちもあるし、、、。
例えば、バスでは男性が席に座っていて女性が乗ってきたら、男性は席を立って女性に譲ります。
お年寄りにももちろん席を譲るし、全然知らない人でも荷物を持つし、親戚の中にお年寄りがいたら誰かがお世話をするそうです(施設という考えはあまりないというか施設があまりないというか、、、)。

それに富の分配という考えがあるので、お金を持っている人は持っていない人にあげるのが当たり前です。
収入の何パーセントは寄付する、という決まりもあるし、イード(犠牲祭)では貧しい人にお肉を配るのがルールです。

などなど、助け合いの精神にあふれているし、人を大事にしていると思います。


帰国直前に学生とお茶している時に、「イスラム教徒についてどう思いますか?」と聞かれた時に、少し迷いましたが自分の本当の気持ちを言ってみました。

イスラムの教えはいいことがいっぱいあると思うし、尊敬もしている。
でも、私はイスラム教徒じゃないからって、それだけでダメだと言われるのがイヤ(そういう人だけじゃないけど)。
私は私なりにイスラムを知りたいし理解したいし仲良くなりたいのに、そこで私との付き合いを止められたら困る。それにイスラム教徒だから完璧なんじゃなくて、いい人間になろう、誰かの役に立つ人間になろうっていう心が大事なんじゃないかなー、、、

といったことを言ってみました。

幸い、その時に話した学生はとても賢い人なので、「そうですね」と同意してくれました。
それだけでなく、「人間は完璧じゃないから、良い人になるための努力をしなければいけない。その良い見本として宗教があるし、自分の宗教だけじゃなくて、いろんな宗教、いろんな人から学ぶことができるので、ほかの宗教も尊重するべきだと思っている」と言っていました。

この「人間は完璧じゃない」というのがイスラム教の人から教えてもらったことです。
完璧じゃないから、人に助けてもらって生きていこう。お互い助け合おう、というのが彼らの宗教なのだと私は思っています。

私はコーランを読んでいるわけではないので、私の中の「イスラム教」は今生きているイスラム教徒から教えてもらったことです。こういう人たちがたくさんいて、平和を祈る人がいるってことを日本人に知ってほしいと思います。

イスラム教の挨拶である「アッサラームアレイコム」は、「あなたがたの上に平安を」という意味です。
この言葉は、目の前にいるあなただけではなく、あなたの家族やその他すべての人だと思います。
この言葉の通り、すべての人たちの上に平安が訪れますように。
アッサラームアレイコム。
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