もし日本語教師がアラビア語を勉強したら

日本語教師とは語学のプロ(のはず)。そんなプロ(の駆け出し)が語学に挑戦したら、どうなる?をテーマに始めたブログも、アラビア語学習編、ヨルダン生活編、日本生活復帰編を経て、大学院編に突入します!

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シリアのこと。お宅訪問してきました。

NGO「サダーカ」さんのメルマガ用の記事を書いていたのが長くなりすぎたのでブログに載せます。ちょっとセンチな感じでイイコぶっている印象。嘘を書いているわけじゃないのになんだか変な感じですがこれもまたわたしの一部なのでしょう)


私は2012年の6月にヨルダンの首都アンマンに日本語教師として派遣されました。最初は日本語を教えたい一心で海外へ飛び出したので、恥ずかしながらヨルダンの国の事情や状況をあまり知りませんでした。

実際に住んでみると首都アンマンは大型スーパーやショッピングモールもあり、大変快適な生活がおくれます。私はヨルダンの中でもエリートたちが通うヨルダン大学に勤めているので、出会うのも高等教育が受けられる学生ばかり。住んでいるのも大学近くの教職員寮のため、限られた一部の人々としか触れ合う機会しかありませんでした。おかげさまで毎日快適に暮らしていられるのですが、テレビのニュースや日本のニュースサイトで見る「中東」は辛く悲しい問題がたくさんあります。

そのひとつがシリアの難民です。

シリアの難民はヨルダンの中でもイルビットやマフラックという別の都市に流れてきています。その都市に住む同期の隊員はシリア難民の皆さんを実際に目にし、交流しています。彼らの話しを聞くと、学校はなく、家もなく、キャンプには物資が足らず・・・という話しを聞くたびに、同じヨルダンにいるのに私は何もしらないことが恥ずかしくなりました。

かつて私が勤めていた日本語学校にはシリア出身の男性がいました。彼は私がヨルダンに派遣されることが決まってから、私にアラビア語を教えてくれました。シリアの情勢が報道されるようになって帰国しましたが、その後もスカイプやフェイスブックで交流を続けてわたしにアラビア語を教え続けてくれました。
シリアという国、そしてシリアの人々が直面する問題を現実のものとして考えるようになりました。
しかし、私に何ができるのか、と考えながら毎日が過ぎていき、気がついたらヨルダンに来てから半年が経っていました。

何かしなければ、というか何かを知らなければという思いに駆られていたころ、サダーカの代表である田村さんと知り合うことができました。そしてサダーカさんの活動の一環であるシリアから来た人々の住んでいるお宅訪問に同行させていただくことになりました。
訪ねたのはアンマンの東にあるお宅で、メインストリートから少し離れた場所にありました。訪ねたお宅は3軒でしたが、どの部屋もアパートと一軒家の間のような、簡単な作りでした。大きい部屋が2間と小さいキッチンがありました。部屋が「大きい」と感じたのは、実際に大きいのかどうかはわかりませんが、家具が全くといっていいほどなかったのでそう感じたのかもしれません。
1つの家というか部屋には1家族5、6人で住む場合もあれば、2~3家族が同居していて20人近くの人が一緒に寝ていることもありました。暖房器具はほとんどなく、部屋に積み重ねられた薄いマットレスと毛布から、夜は重なり合うように暖をとって寝ているのだと想像できました。

みんなカメラに興味津々。



3軒目のお宅には、一昨日産まれたばかりの赤ちゃんとお母さんがいました。
部屋の片隅でお母さんが寝ていて、赤ちゃんはその隣でタオルにくるまれて寝ていました。産まれてすぐの赤ちゃんを見たので驚きました。




お母さんは、「だいてみて」と、赤ちゃんを私に差し出しました。
私は戸惑いましたが抱かせていただきました。赤ちゃんの肌は赤黒く、皺がたくさんありました。小さくて、柔らかくて、少しでも力を入れたらつぶれそうなぐらいです。

私が抱いているそばから上のおにいちゃん、おねえちゃんは赤ちゃんにキスをしたり手をだしたりします。


元気いっぱいのお姉ちゃん、お兄ちゃん。


赤ちゃんは青い瞳をもっていましたが、きっとまだ何も見えていないと思いました。

日本にお住まいの方はヨルダンが砂漠の国=暑い国だと思われる方も多いのですが、ヨルダンには四季があり、先月はアンマンに雪が降りました。家は夏の暑さをしのぐことを重視しているため、冬はすきま風が多く、本当に寒いです。

わたしはこの訪問した日から、雨が降るたび、風がふくたび、訪問させていただいたお宅の家族の顔が浮かびます。そして家にすら住めていないキャンプの皆さんを思います。
思うだけで何もできませんが、早くシリアの問題が解決し、家族のみなさんの希望である「国に帰りたい」を実現してほしいです。
そしてあの日腕に抱いた赤ちゃんの目が、平和で美しいシリアの国を映す日が一日でも早くおとずれますように。



(でも、日本のニュースやサイトで見る「中東」だけがすべてじゃない!ということも声を大にして言いたい。みんな平和を愛しているし隣人を愛しているのです!!なぜなら・・・次回に続く。)
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