もし日本語教師がアラビア語を勉強したら

日本語教師とは語学のプロ(のはず)。そんなプロ(の駆け出し)が語学に挑戦したら、どうなる?をテーマに始めたブログも、アラビア語学習編、ヨルダン生活編、日本生活復帰編を経て、大学院編に突入します!

第17回 ヨルダン日本語弁論大会 その3 原稿とは

開催1ヶ月前に原稿を締め切り、
そこから各自練習に入ったはずですが、開催10日前ぐらいになっても、まだまだ大変です。
本当に大変。。。

原稿を締め切ったはずなのに、それから原稿が変わる、変わる・・・。

そして練習をしているんだかしていないんだか。
開催2週間前ぐらいに練習に来た学生が
「先生、これ、意味はなんですか?」
と、自分の原稿に書かれている日本語の意味を聞いてきたので、びっくり。

その原稿、どうやってつくったんだーーーーーーーー!!!!????

っていうことになるのも仕方がない。

これも、私たち教師がそういうサポートをしてしまっているからです。

一人で原稿を作れないのは仕方がないかもしれません。
(なら出場するな、という意見もあると思いますが)

でも、せめて、何が言いたいのか
言いたいことを日本語で表すには何と言うのか

最低限、この2つは守ってサポートしなければいけなかったんです。

私は学生が言いたいことを英語で言われて日本語で訳していましたが、それだけでは足りなかったんだな、とわかりました。
去年も同じことをしていたはずですが、最初は必死で気がつかなかったことが見えてきました。

なので、私は英語から日本語の原稿を作る時に、ひとつひとつ「これでいい?」「これはこういう意味です」と説明しながら原稿を作るようにしています。

そうしないと、後でその学生が自分の原稿なのに意味がわからないまま覚えて、原稿を言うことしか出来なくなります。

言いたいことは詰まっている原稿でも、それは自分の原稿ではないので覚えるのが大変です。
それに、これってスピーチする意味あるのかな、と思ってしまいます。

何のためのスピーチ?
何のための大会?
別に良いんですよ、出来上がった原稿を読むだけでも立派ですよ。
でもそれは原稿に自分の言いたいことが詰まっていて、それを自分で理解しながら伝えられたらの場合じゃないんでしょうか?
ただ大勢の人の前に立って、日本語らしい文章を言って拍手されて、それでいいんでしょうか?

それでいい!と言う人もいるでしょうが、私は嫌です。
別に「学生にとって、そんな偽物の経験はよくない!」と言うつもりはありません。
私自身が気持ちが悪いからです。
それに、そのように借り物の原稿で優勝する人が出てきたらムカつくからです。
ただ単に、それだけです。


モヤモヤは続く。。。
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