もし日本語教師がアラビア語を勉強したら
日本語教師とは語学のプロ(のはず)。そんなプロ(の駆け出し)が語学に挑戦したら、どうなる?をテーマに始めたブログも、アラビア語学習編、ヨルダン生活編を経て、日本生活復帰編に突入します!

もし日本語教師が改宗を勧められたら(個人的見解)

半年以上前にとある学生から言われたことについて書いています。
私がイスラムを素直に受け入れられなくなっていった原因のひとつです。
半年の時を経て、考えはまとまったのか、私??

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ヨルダンはイスラム教徒(ムスリム/ムスリマ)が9割以上を占めます。
どこへ行ってもモスクが必ずあって、日に5回、祈りの時間を告げるアザーンが鳴り響きます。大学内やレストランや道ばたでもお祈りしている男性の姿は当たり前だし、授業の前後でも学生は「祈ってもいいですか?」と教室の隣にある事務室でお祈りをしています。

私は仏教徒ですが、仏教徒の自覚もなく生きてきました。
クリスマスも楽しむし、正月は神社に行って祈ります。
「神様」に対して祈ってはいますが、「神様」っていうのはどっかから見ているだろうという程度の認識で、特に私の人生に強く何かを示すものではなく、どちらかというと温かく見守ってくれているような存在だと思っています。死んだ後のことはあまり考えません。天国と地獄は文化だと思っています。


ですから死後の復活や天国と地獄は文学や思想的に捉えることはできても、イスラム教やキリスト教のようにリアルな物として信じることはできません。


だからといって、現世で何でもしてOK。地獄なんか知らないもんね。というようには思っていません。
自分がしたことが自分に返ってくると思っています。
つまり、良いことをしたら良いことがあり、悪いことをしたら悪いことがある。
この「悪いこと」とは、死んだ後に復活して炎で焼かれる・・・といったことではなく、悪いことをしてばかりいると友達を失ったり大切な物を失ったり、、、因果応報が生きている間にも起こるという感覚です。

きっと幼い頃から母に「人にされて嫌なことは自分もやっちゃだめ」とか「悪いことも良いことも自分に還ってくるからね」といった教えを受けてきたからだと思います。


さて、そんな私ですが、ヨルダンでは「仏教徒だ」と言うとたいてい「改宗したら?」「改宗しなよ」「改宗しなければならない」などなど、お誘いをよく受けます。
バスとか道ばたとかホームステイ先とかで言われたことがあります。

めんどくさいので基本的に無視か苦笑いでその場を切り抜けます。

自分の文化に誇りやアイデンティティーを持てることは素晴らしいです。

でも、私は「世の中にはムスリムじゃない人もたくさんいて、それぞれ違うけどそれでいいじゃない」という考えです。

人間みんな他人同士。理解できなくて当然なんです。
だから一生懸命向き合って、傷ついて、それでも付き合っていかなきゃいけないんです。
みんな同じになんて、なれません。

でもまあとにかくこうやって一方的に改宗を迫る人の何がイヤって、異教徒がイスラム教になっただけで喜ぶところがイヤ

異教徒を改宗させた人には天国へのステップアップになるそうで、そのためだけに改宗を勧めてくるのがイヤ。
でもって、善意であったとしてもイスラム教になったらしあわせだから、とか思っている人がイヤ。

ちげええだろおおお!!

イスラム教に改宗したからって何の解決にもならねえだろおおお!!

なーんて思ってしまいます。

「良いムスリム」(「良い人間」と言い換えても可)になる努力をしていないイスラム教徒なんて!!!

別にイスラム教を否定したいわけではありません。
むしろ、ヨルダンに来てからイスラム教のことをいろいろ教えてもらいましたが、良い宗教だなって思うことがたくさんありました。

例えば、イスラム教は助け合いのシステムが定められているので、教えに従って社会を作っているのは素晴らしいと思います。

喜捨であり、サダカであり、ラマダンやイードの制度などなど、貧しい人を救うシステムがイスラム教にはたくさんあります。
その昔はイスラム教が社会福祉だったという点も納得がいきます。それぐらい、具体的に細かく助け合うための決まりがたくさん定められています。
そして絶対的な神が見守ってくれているという安心感も良いなと思います。


ですからムスリムになることがしあわせだ、と考えている彼らの考えを否定しません。
でも、私は違うんだよ。あなたと違う私を認めてね。と、思います。
それは私の個人の意見でもありますが、イスラム教でも異教徒との共存するような教えもあるそうです。

そしてそれを日本語を学んでいる人には伝えます。
(その他のヨルダン人は言葉の壁もあるし意識の壁もあるので基本的に言いません)

さて、前置きがものすごおおおおおく長かったですが、いよいよ本題。
(まさかまだ本題にも至っていなかったとは・・・)

ある日、熱心なムスリマで将来は日本でアラビア語の先生になりたいという学生に、「先生はいつムスリマになりますか?」と言われてどーんと疲れました。

これから日本でアラビア語の先生になりたいというのに、仏教徒の存在を認められないのかしら?と思うと気が重くなりました。

彼女は勉強ができる分、自分が一番正しい!と思っているような印象を受けることがたまにあるので、これは良い機会だと思って少し話しをしました。

私は八百万の神がいる日本っていう国で生まれ育って、いろんな神様を信じているしいろんな神様がいる日本の考え方が気に入っています。だから改宗するつもりはありません。今のところ(←譲歩)。

もちろん、わたしはイスラムにも興味があるし、アッラーもヘルー(すてき、すばらしい、の意味)だと思います。

私はムスリムじゃないけど、ムスリムを尊敬しています。
世界にはいろんな宗教があって、いろんな人がいて、それぞれ違うから面白いんだと思います。
だからあなたも自分と違うものの存在を知って、仲良くしてください。
きっと、楽しいと思います。

みたいなことを言いました(日本語、アラビア語、英語まじりで)。

が、「アッラーが一番ですから、アッラーひとりで十分です」と言われて撃沈。

まあいいや。

そういう考えもありですよ。

みんな違ってみんないい。


*今回の彼女のような学生ばかりではありません。「みんな違ってみんないい」精神の学生ももちろんいます。むしろ日本語を勉強している人は基本的に仏教徒である私を尊重してくれるので、彼女みたいな人が珍しいです。だからこその疲労。。。
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