もし日本語教師がアラビア語を勉強したら
日本語教師とは語学のプロ(のはず)。そんなプロ(の駆け出し)が語学に挑戦したら、どうなる?をテーマに始めたブログも、アラビア語学習編、ヨルダン生活編を経て、日本生活復帰編に突入します!

外国人向けアラビア語コース参戦②

アラビア語コースに参加して早くも1週間以上経過。。。

なんだかげっそりしてきました。
1日4時間も勉強した上に仕事。。。自分が選んだこととはいえ、つらいっす。
じゃ、やめればいいんですが、やめたいわけでもないし通うことでいろいろ仕事に役立っていることもあるのでまだ一応続けています。

クラスは「5人」と書きましたが、本当はスペイン人の女の子がもう一人いました。
ですが、彼女は3日目ぐらいにクラスを変わってしまったのです。
今いるトルコ人の女の子も、近日中にクラスを帰ると言っていました。

なぜ、クラスを変えるのか??

それは、「このクラスで勉強してもアラビア語を話せるようにならないから」という理由だそうです。

このクラスで、というのは先生の問題ではなく、フスハー(標準アラビア語)のクラスだからです。

フスハーは読み書きで使う言葉で、実際に話している言葉と少し違います。
コーランとニュースと新聞と本では、このフスハーというアラビア語を使っています。

では、話す時は何か?というと、「アンミーヤ」という口語体でみんな話しています。

アンミーヤは勉強すれば意思疎通ぐらいの会話はすぐに出来るようになります。
私が日常生活で話している言葉もアンミーヤです。
アンミーヤは文法が簡略化されていたり、単語そのものが違うこともあります。
まあとにかくフスハーに比べたら簡単だし、みんなこの言葉で話しているので、勉強していると現地人とどんどん話せるようになるので達成感を得やすいかもしれません。

ですが!!

このアンミーヤは地域によって多少違うし、国によっては多少どころか全然違ってしまう国もあります。
(例:エジプト、モロッコ、アルジェリアなど)
ですから、アンミーヤしか知らないで他の国に行った場合、自分の行っていることは伝わっても相手の国のアンミーヤがわからなかったら意思疎通ができません。
その点、フスハーは恐らくアラビア語圏の人なら一度は勉強したことがあるので多少はその言葉で話せるはず
ですからフスハーならどの国に行っても通じるはず

はず」というのは、アラビア語圏の人(アラビア語ネイティブ)にとってもフスハーは難しいので、みんなが出来る訳ではないからです。

特にヨルダンでは大学の授業はほとんど英語のため、フスハーが苦手なヨルダン人もたくさんいます。


といったように「フスハーを勉強しても話せるようにならない!」というイライラはヨーロッパの人にとって大きいのかもしれません。
ヨーロッパの人、というより、スペイン語イタリア語フランス語ドイツ語英語あたりを母国語としているか勉強したことのある人にとってはイライラするんだと思います。
なぜならそれらの言語は数ヶ月の勉強で話せるようになるものだから

と、ヨルダンやその他の学生が言っていました。

私も、

「日本語はいつになったら普通に話せるの?こんな言葉(注:日本語クラスでは「です」「ます」で最初は教えます)で話している人なんていないじゃん!!」

と文句を言われたことがあります。

まあ、なかなか話せないというのは話したい人にとってはイライラするのかもしれませんね。

それに加えて、フスハーのクラスでは、というか、恐らくヨルダンの勉強スタイルの特徴だと思いますが、先生方はとにかく詰め込んできます

もうとにかく4時間の授業のうち3時間ぐらいは先生が話しているんじゃないかってぐらい話しています。
先生は新しい単語や文法を英語でがーーーーーって説明して「わかった?」って聞いて「わかりました」と学生が答えると、「OK!」と黒板をがーーーーーって消してまた新しい文法と単語・・・。

もしくは教科書の会話文を「さ、読んで!」と文法説明も何もなく学生に読ませ、すべて読み終わったら「わかった?」と聞いて、学生からわからなかった単語を聞いてその意味を英語で言って、「OK!」と、次に進む・・・。

いやいや、これOKなの?????

と、私は思っていたのですが、どうやら先生たちはひとつでも多くの文法、言葉を提示するのが大事なんだと考えているようです。

日本語教育の世界では、というか私の教え方ですが、「教師の仕事の9割は聞くこと」という訓練を受けたので、教師がべらべら話すことしないように気をつけています。

私が新しい文法を教える時は状況から推察して何と言うかを学生に考えさせたり、例文を出した上で学生にルールを考えさせて言わせたりするようにしています。

そして、「知る」と「できる」は全然違うんだよ、と以前の勤め先で言われたので、文法を「知る」だけではなく、自分で言いたいことが「言える」ようになるまで教えるのが授業だと思っています。

(私がそんなスンバラシイ授業ができているわけではなく、あくまで目標という意味で)

といった考えを持っている私からすると、アラビア語の授業は「?」と思ってしまいます。

でもまあ、それでも学生はついて来ているし、私も日々アラビア語の知識が増えていって使える言葉も増えています。

だから私も「こうしなきゃ」と思い込まず、そして自分を追い込みすぎずに日本語を教えても良いんだな、と思いました。

毎回、授業が終わるたびに「今日は学生に話すチャンスを上手くあげられなかったな」とか「今日は私しか話してなかったな」とか「もっと楽しい授業ができたらな」とか反省ばかりですが、まあそんな落ち込まなくてもいっかー!!


いやいや、良い授業を目指しています。楽しい授業もしたいです。
でも、教師の授業ひとつで学生の力が左右される訳ではないんだと言うことがよくわかりました。
まあこの考えに至ったのは、学生の立場になったということと最近インターネットで自立的に学んでいる学習者のことを知ってからなのですが、この話はまた今度。


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