もし日本語教師がアラビア語を勉強したら
日本語教師とは語学のプロ(のはず)。そんなプロ(の駆け出し)が語学に挑戦したら、どうなる?をテーマに始めたブログも、アラビア語学習編、ヨルダン生活編を経て、日本生活復帰編に突入します!

帰国後の振り返り アラビア語について

このブログ「もし日本語教師がアラビア語を勉強したら?」は、日本語教師がアラビア語を勉強したらどうなる?というコンセプトで書いてきました。

2011年9月の当初は、「日本語教師がどうやって創意工夫してアラビア語を勉強するのか?」がテーマでした。

その後、2012年6月からは、「アラビア語を勉強した日本語教師がヨルダンというアラビア語圏で実際に日本語を教えたらどうなる?」をテーマに書いてきました。

アラビア語勉強編を振り返ると、やはり独学で勉強するセンスが私には足りなかったと思います。
今はインターネットでいろんな学び方ができるのに、私はひたすら本とCD音声に頼るだけでした。
今なら、Skypeを使った会話練習やland-8を使った作文練習やドラマを字幕で見て学ぶ・・・など、もっと多彩な勉強に挑戦したかもしれません。

というか、これからでもいくらでも挑戦はできますね。

何が良いたいかと言うと、一人で勉強することは可能。でも、本とCDだけでは限界がある、ということです。

だからその後、クラス授業を実践したり実際にヨルダンに来てからの方が上達したんだと思います。

アラビア語の勉強を初めてから早くも3年以上が過ぎたのですが、今の私のレベルは「現地の言葉でまあまあ会話ができる程度」です。
読み書きは、単語を書いたり読んだりはできますが、長文読解はできません。
会話は初対面、なんとなくの会話、軽い喧嘩はできますが、ビジネスの場面では役に立ちません。
そして誰にでもあることだと思いますが、日本好きの人、または日本語を勉強している人とは会話が続くのですが、そうじゃない人とは会話が続きません。
これはきっと、精神的な問題と会話の中身の問題だと思います。


さて、必死で学んだアラビア語ですが、ヨルダンで日本語を教えるに当たって役に立ったのか?
ということですが・・・実際のところ、役に立ったと私は思っています。

私のアラビア語はヘタクソですが、ヘタクソだからこそ学生との距離が縮まったと思います。
「私は教師であると同時にアラビア語の学習者」と、よく学生に言いました。
だから、最終的に学生から「先生は先生だけど、先生じゃない」という言葉をもらいました。

教師としてそれは良いことなのかと言ったら、多分ダメなんだと思います。
でも、私はヨルダンにおける日本語教育の意味を考えた際に、私のような中途半端な日本語教師がいたことで、現地にいる人たちが楽しい、面白い、幸せ、、、というプラスの感情を持てたらそれで良いと思っています。

また、私自身が外国語を学ぶつらさや楽しさを知ったことは、今後の教師人生に必要なことです。

言語は生活の一部、と言いますが、アラビア語を学ぶことでアラブの文化、イスラムの文化を多く知ることができました。
例えば「インシャアッラー(神が望むなら)」や「アルハムドリッラー(神のおかげ)」という言葉には「アッラー(神)」が出てきます。
ヨルダンでは常に神様を思い起こさせる言葉や場所がたくさんありました。
神様を信じている、でもその一方で良い人間になる努力を怠る人たち・・・いやもうこの話は長くなるのでやめますが、とにかくイスラム教は何も知らない遠くの宗教というよりは、ムカつくけどなかなか面白い奴だし時々良いことを言ってくれる友人、という感じです。

結果として、アラビア語が好きになりました。
学生時代に勉強していたドイツ語や韓国語よりもやりがいのある言語だと思います。
奥が深いし、言語そのものも面白いし歴史も文化も面白い。
今後も機会があったら勉強したいと思います「インシャアッラー!」。
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