もし日本語教師がアラビア語を勉強したら
日本語教師とは語学のプロ(のはず)。そんなプロ(の駆け出し)が語学に挑戦したら、どうなる?をテーマに始めたブログも、アラビア語学習編、ヨルダン生活編を経て、日本生活復帰編に突入します!

インシャアッラー

日本に帰国して約4ヶ月が経過。
季節は冬から春へ。

私は正月休みをちょろっと取ったぐらいで日本語学校での仕事やビジネスマンへのプライベートやスカイプレッスンなど仕事をいただけてありがたい限りなのですが、、、その代わり、体調を崩しまくりました。
季節の変わり目ということもあり、帰国後の疲労ということもあり?、さらに日本のストレス社会の復帰で免疫低下もあり??、とにかく様々な理由で具合が悪くなってしまいました。
休日はほぼ寝たきり、声もガラガラ、咳が止まらない、、、という状態でした。
(スカイプレッスンなのに咳が止まらないという地獄のような時間も過ごしました)

と、いろいろありましたが、そんな生活の中で、日々「インシャアッラー」という言葉を使いたい、でも使えない、という葛藤に駆られていました。

「インシャアッラー」は「神様が望むこと」という意味で、未来のことによく使います。例えば、

A:来週、どこか遊びに行かない?
B:いいねー。いつにする?
A:水曜日は?
B:うん、じゃ、水曜日ね。インシャアッラー。

という感じです。

人によるとは思いますが、こんな感じで「とりあえず水曜日に会う」ということだけ決めて、細かいことはまたあとで。ということが多かったです。
なので、前日とか当日とかに「今日どうする?」と連絡をとりあってその日の予定を決めます。
だから当日急に都合が悪くこともあります。
その場合は「しょうがないね。またね」ということも多々あり...。

もともと「インシャアッラー」は「神様が望むこと」という意味だというのは上に書きましたが、私はこの言葉の奥には「未来のことは神様しか知らない。我々人間はどんなに頑張ってもできないことがある」という感覚があるんだと思います。
人間の限界を知っていると表現することもできると思います。
でも、だからといって努力しなくていい訳ではないし、頑張らなければなりません。
約束も守らなくてはいけません。
それでも、我々は完璧ではない存在だから、ダメな時もあるし、いい時もある。仕方がないよね。だから頑張ろう。だからありがたい。

みたいな感覚です!!!!

この感覚、ヨルダン人、もしくはイスラム教徒全員がもっているかどうかはわかりませんが、少なくともヨルダンではこういう感覚で生きていることが許されていたように私は感じます。

もちろん、この「インシャアッラー」があるからかどうかはわかりませんが、ヨルダンでは約束が守られないことも多々あります。
会議室の予約をしていても当日にならないとわからないし、数ヶ月前に予約していたホールも本番一ヶ月前に使えないとか言われるし(スピーチコンテストの恨み)、やるって言っていたのにやってないじゃんなんて日常茶飯事だし、、、って思い出すと、イライラ。

と、イライラもありますが、自分もそれをしていい、っていうのは楽だったんだなーと今ならわかります。

日本では上記の会話は成立しません。

A:来週、どこか遊びに行かない?
B:いいねー。いつにする?
A:水曜日は?
B:うん、じゃ、水曜日ね。インシャアッラー。
A:え?インシャアッラーじゃなくて、水曜日は何時にどこで会おうか?何しようか?何食べようか?待ち合わせは???

などなど、決めなきゃいけないことが多いですね。

私も帰国後、長年会っていなかった人たちと会いたい、話したい気持ちはあるのですが、この約束をするのがもうすごく面倒くさくなってしまいました。
(もともとそういう性格というのもありますが)

未来は自分の思い通りにならない。でもできるだけのことはしよう。がんばろう。
そういう感覚を忘れたくないなーと思います。
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