もし日本語教師がアラビア語を勉強したら
日本語教師とは語学のプロ(のはず)。そんなプロ(の駆け出し)が語学に挑戦したら、どうなる?をテーマに始めたブログも、アラビア語学習編、ヨルダン生活編を経て、日本生活復帰編に突入します!

研修アウトプット②教師が生き残るために

お世話になっているベテラン日本語教師の方が開催している勉強会に参加しました。
テーマは「言葉を教える」から「学ぶ人が言葉を自律的に学んで使う場のデザイン」へと変化する教え手の役割でした。
このテーマの背景には、インターネットの普及に伴って気軽に語学学習ができるツールがたくさんある中で、教師は必要なのか、必要ならばどんな役割が必要なのか?という大きな問題があります。

前回の投稿にも関係がありますが、教師という仕事は教室の中で教えることのように思えますが、いまや教室の外に数え切れないほどの学習者が存在します。

語学は特にアプリも学習サイトも充実していて、自分で学べることがたくさんあります。
私がヨルダンで教えていた学習者たちも、初級1のクラスに参加する際にひらがな、カタカナがすでにできていて、漢字もいくつか知っているという学習者が何人かいました。彼らは自分でアプリや学習サイトを探して勉強していたのです。
また、ヨルダンではレベル4までの教室が当時はありませんでした(私が中級クラスを不定期でやりましたが、基本は初級のみ)。
だから、初級が終わった学習者たちは自分で素材を探して勉強しなければいけない状態でした。
その時に彼らが用いたのは、日本人の友人や本、そしてやはりインターネット上にある様々なサイトでした。
このように自分で学ぶ=自律的に学んでいる学習者は、教師がいるいないに関わらず上達しています。
もちろん人にもよりますが、私の知っている学習者の中でもアニメを見たり日本人の友人とチャットするぐらいしか日本語と関わっていませんが、それでも流暢に話せるようになっている人がいます。

では、教師はいらないのか?
というと、そうではありません(と信じたい)。
勉強会を通して学んだのは、教師が不要なのではなく、教師の役割が「教える」だけにとどまらなくなってきた、ということです。

教師=教える人、ではなく、自律学習を促進したり、モチベーションを維持または上げたり、学習方法を紹介したり、言語を使う場を作ったり、、と役割が広がっている、増えているんです。
(わー、がんばろう無間地獄ふたたび!)

でもこの流れは確実にキテますキテます、、、って別にスプーンは折れませんが、今までと同じように教えている教師だったら折れちゃうかもね。むしろ消えちゃうかもね。という恐ろしい予言をいただきました。


という夏にぴったりの怖い話でした。

でもまあ前向きに考えれば、教師の可能性は無限大ってことですね!!
インシャアッラー(神さまの御心のままに)!
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Comment

教えること。学ぶこと。
こんにちは。ぶち姐です。
新しい言語を学び、使いこなすのは本当にエネルギー要ります。
アラビア語も隊員時代は、わりと言葉が出てきていたのに、
すっかり記憶のかなた。

また昨年度1年間、
フランス語モチベーションをあげ、
在外勤務に準備してきたはずが、使えるフランス語までは、ほど遠く・・・。

なんとかかんとか仏語で会話ができるように、
せめて内容が聞き取れるようにと日々学びの毎日です。

新しい言語を学ぶことは、新しい世界が広がってとても楽しいです。
アラビア語からアラブの世界が広がるように、
仏語圏アフリカの情報はかなり仏語ニュースに入っているんです。
日本語・英語にはない情報量。

さぁ、がんばるぞ。

2015.08.23 22:47 | URL | ぶち姐 #fkxczLn. [edit]
Re: 教えること。学ぶこと。
ぶち姐
コメントありがとうございます。
もはやヨルダンとほぼなにも関係ないネタばかりなのに読んでくださってありがとうございます。
言語を学ぶって、確かに世界が広がりますよね。
私も自分の世界を広げるのはもちろん、他の人の世界も広げられるような教師になれるように頑張ります。
一緒に頑張りましょう!
2015.08.24 04:41 | URL | 中山 ひろ子 #- [edit]

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