もし日本語教師がアラビア語を勉強したら

日本語教師とは語学のプロ(のはず)。そんなプロ(の駆け出し)が語学に挑戦したら、どうなる?をテーマに始めたブログも、アラビア語学習編、ヨルダン生活編、日本生活復帰編を経て、大学院編に突入します!

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ヨルダンでもらったもの

かれこれ帰国して10ヶ月以上経ちますが、未だにいろんなお土産をもらったなあ〜としみじみ思います。ものだけでなく、価値観や考え方をたくさんもらいました。

今でもつらいとき、ダメになりそうなときに思い出すようにしているのは自分を肯定する心です。

もともとは「〜しなければならぬ」「〜すべきだ」という「ねばならぬべき」精神で仕事もプライベートもけっこう何でもかんでも頑張ります!って感じの人間でした。
だから「ヨルダンに行く前にアラビア語を多少話せるようになっていなければならぬ!」と思い、コツコツ勉強していました。もちろんそれはいいことだと思いますが、ときにそれが息苦しくなることもあります。
私生活でも「xx歳になったら⚪️⚪️ができなければならぬ」とか「休日はたまには外に行くべきである」とか、とにかくいろいろ自分に課していました。
しかも、自分だけでなく、周りの人間や親にも「〜なければならぬ」を押し付けていたと思います。

でもヨルダンに行って、外国語学部の英語学科の学生が英語が全然できなかったり、日本へこれから行くのに日本語が全然できないし勉強すらしなかったり、大学の秘書が仕事もしないしできないしまったくのポンコツでも偉そうに生きていたり...などなど自分だったらそれはダメだろうというボーダーをぶっちぎってくれる人に出会い、そしてそんな人たちも堂々と生きていて...となんだかマイナスな感じですが、決してそういうつもりだけではなく、

「不完全なのが人間なのだから、できなくても弱くてもいいじゃないか。そこからがんばろうよ」

という価値観をもらいました。

そこで肩の力が抜けたし、頑張りすぎなくてもいい。無理をするよりも現状を楽しむことも大事なことだと思えるようになりました。

いまでももちろん、完璧さをつい求めてしまうし、できない自分を恥ずかしく思うことは多々あります。
でも、「ダメで当然。だって人間だもの」とダメな自分を受け入れて、それでも神様(イスラム教でいうところのアッラー)は許してくれるし周りの人も許してくれるし...とにかく生きてていいんだよ!というおおらかな気持ちというか赦しをもらいました。

日本で働くようになって、ヨルダンとは比べ物にならないぐらいの質の高い仕事が求められるようになりました。
つまりどれだけヨルダンでゆるかったのかという話にもなるのですが、とにかく日本では上へ上へ、より良いものを求めてやまない生活をしているように日々感じます。

もちろんお金をもらって働いている以上、相手(雇い主、サービスの受け手)の求めるレベル以上のサービスを提供しようと努力はします。
でも自分を「〜すべき!」「〜しなければならない!」と鼓舞するより、「これができたらきっと楽しい」「きっと私にはこれができるから与えられた課題だ」ぐらいに思って取り組むようにしています。
とはいえ、常にプレッシャーに潰されそうになっていますが。

感情はなかなか難しいです。

自分の気持ちを楽に、そして質のいい仕事を提供できたらいいですなあ...。
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