もし日本語教師がアラビア語を勉強したら

日本語教師とは語学のプロ(のはず)。そんなプロ(の駆け出し)が語学に挑戦したら、どうなる?をテーマに始めたブログも、アラビア語学習編、ヨルダン生活編、日本生活復帰編を経て、大学院編に突入します!

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ラマダンと平和

あっという間にラマダンが終わってしまいました。
この記事を書き始めた時はまだラマダン中だったのですが、ラマダン中に自爆する事件やトラックが人ごみに突っ込む事件が勃発して、この記事を書いていていいのかわからなくなってしまったので、しばらく寝かせておきました。
でもやっぱり書きます。非イスラム教徒の私が何を思ったのか、今何を思うのか。


今年のラマダンは私にとってヨルダンにいる時以上にラマダンだなという感じがしていました。
なぜかというと、実はサウム(断食)に挑戦していたからです。
サウムをしようと思ったのは、帰国してからイスラム教が恋しいというか忘れられないと思うことが多くて、それは無い物ねだりというか離れてしまったから思い出は美しい幻想に囚われているだけなんじゃないかと自分で自分の気持ちがわからなくなり、それならいっそのことサウムでもしてみようかな、という気持ちからでした。

とはいえ、ちゃんとしたイスラム教のルールの断食ができたのは一週間ぐらいだったと思います。
同居している家族の猛反対にあって、途中でしなくなりました。家族を悲しませてまでやることではないと思ったからです。

さて、サウムをしてみて(なんちゃってを含めて)、、、意外に楽しかったです
そして、空腹だからものすごく眠かったし、よく寝ていました。
でも仕事は休めないのでいつも通りしていましたが、空腹のピークを越えると謎のテンションが生まれて、やたら楽しく仕事(授業)ができました。
これは日本だからよかったと思う点です。
私が多少寝ていようがダラダラしていようが、周りはいつも通りに廻っていたのでそんなに問題は起こりませんでした。
(まあ、イスラームの国にいたら国全体が回っていない状態になるのである意味問題にはならないんですが)

そして、毎日の夕食(だいたい19時ぐらい)が本当に楽しみでした。

残念ながら、家族は猛反対だったしもともと夕飯の時間帯がそれぞれ違うので、「家族と一緒に夕食の喜びを分かち合う」というイベントは全くできませんでした。でも家でご飯を食べるのが楽しみでした。そして作ってくれた人(自分で作る時には材料を作ってくれた人)に感謝の気持ちがより高まりました。

また、日本にいるイスラム教徒の人と一緒に晩御飯を食べて「ああ、幸せだな〜」という気持ちを分け合えました。やっぱり誰かと分かち合えると幸せな気持ちになります。

ラマダン中は家族で一緒に断食をして一緒にご飯を食べる...こうすると嫌でも関係が近くなると思います。
そして一緒に過ごした相手のことは大切になるし、関係も深まります。
こうして、家族や親戚、仲間を大切に思えるようになるのかな、と思いました。


さてさて、「ラマダンは神聖な月」と言われているのですが、なぜ神聖なのでしょうか?
そもそもなぜ、断食をするのでしょうか?

...ヨルダンにいる時によく聞いたのが、「断食をすると貧しい人の気持ちがわかるから」「デトックスできるから」などなど聞いたことがあります。
それも一理あるな、と思うのですが、私はそれだけで断食ができませんでした。
だってお腹がすくし、断食を言い訳に仕事しない人が激増するからイライラしちゃうし。


なので、そもそもの話を聞いてみました。
なぜ、ラマダンは「神聖な月」なのか?
なぜ、断食をしなくてはいけないのか??


コーランを読んだり話を聞いたりして、ちょっとだけわかったことですが、ラマダンが神聖な月という理由はアッラー(神様)が預言者ムハンマドに聖典(コーラン)を授けた月だからだそうです(byコーラン)。
さらにこのコーランとは何かと言うと、「人類を導くために、また善悪がわかるようになるために下された」そうです。

そこで私が理解したのは、この月にサウム(断食)をすることで、改めて神様の偉大さを思い出して、人類の道を示している聖典を読んだり学んだりして善悪を知り、善人になれるように努力しようね。という月なのかなーと思いました。
人間は弱い生き物だから、どんなに道を示したものをもらってもそんな毎日は頑張れないし、簡単に堕落していくものだから...だから、年に1度は自分を棚卸しして、自分はいい人間になれているか?道をあやまっていないか??
そんなことを思い出すためのサウム(断食)でありラマダンなんじゃないかなーと思いました。

だから悪口は言ってはいけないし、優しい気持ちになれるようにがんばるそうです。
心を鍛えるというか、いい人間になるための挑戦というか...。
友人の言葉を借りれば、「ラマダンは肉体への栄養を断つことで心に集中できる。心の栄養(宗教心)を集中して取ることができる」だそうです。

だから断食してイライラして人に当たる...なんて、やっちゃいけないことだし、ラマダンだから天国行けるぜイエーなんて言って自爆したり他人を攻撃したりしちゃいけないってことなんです。

自分はいい人間に近づいているのだろうか。
他人の役に立てているのか、神様に恥ずかしくない生活をしているだろうか、、、そんなことを考える時間になったらいいのかな、と思いました。
(そこまで考えて断食している人がいるかどうかは知りませんが)

と、考えると、なるほどラマダン、いいね!
断食、いいね!!
と思います。


とはいえ、私はイスラム教が一番正しい!唯一の宗教だ!!と言いたいわけではありません。
宗教は個人の自由だし、どんな宗教であっても互いを尊重すべきだし、助け合うのが同じ地球に生きているものの役目というか義務だと思います。

だから、イスラム教徒ってだけで怖いとか変とかいうのが嫌です。
その反対で、ブッダは神じゃないから一神教に改宗しろと言われるのも嫌です。


世界中の人が互いの違いを認め合い、平和に暮らせることを祈っています。
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2017.08.15(Tue) 21:42        さん   #         

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